小説 多田先生反省記

19.新婚生活

 新婚旅行を兼ねた旅は大阪から日本海側へと巡り、鳥取の砂丘に遊んで出雲大社に御礼参りをして萩に立ち寄り、博多に戻ったその最後の晩は天神のホテルで締めくくりとした。一週間を超える休暇が終わればいつまでものんびりとしているわけにはいかない。短大での授業が待ち構えていた。私はいつになく厳めしい顔つきで授業に臨んだのだが、そこかしこで私語が絶えない。私は憮然とした表情で脱線することもなく淡々と授業を進めた。終了のベルと同時に教壇に学生が群がった。

 「先生、質問がありまっす!」珍しい事だった。

 「何だ?解りにくかったか、今日のドイツ語」

「先生、結婚されたんですか?」

 「どうして判った?」私の顔はだらしなく弛んだ。

 「指輪してるもん!」

 左手の薬指には結婚指輪が金色に燦然たる輝きを放っている。

 「ちょっと野暮用があって東京に行って来るって云ってたけど、新婚旅行だったんですか?」

 「東京で結婚式を挙げてな、それから旅行しながら帰ってきたんよ、おいどんは」

 「うわ〜、やだ!新婚ほやほやだ〜!」

 「やだってことなかろう」

 「こないだ迄、おいどんは侘しくてしょんなかよ、なんて云ってたじゃないですか」

 「この間まではな、今は違うと!」

 「おいどん、結婚したんよ。ほんなこつ嬉しか〜、幸せなんよ、でしょ」

 「先生なんか、知らないっ!」授業が終わるといつも私に纏わりついていた一人の女子学生がこう言い放って教室を出ていった。

休み時間を挟んでの次のクラスでは全く授業にならなかった。次から次へと私の新たな生活への質問が相継いだ。15分間の休憩時間の間に私が結婚したことは全クラスに知れ渡っていたのだった。「いい加減に授業をやろうよ」と声をかけても無駄だった。 

数日して電話がついたので、東京と仙台の実家には電話機が設置されたことを伝えた。他には知らせない。無暗に電話機の呼び出し音が鳴るのは邪魔である。置き場所がないのでキッチンの板の間に置いたのだが、電話がかかってくるとその呼び出し音が床に鳴り響く。喧しいので小さな座布団を電話機の下に敷いてみた。厚手の布きれも被せた。誰も電話を掛けてくる者はいないので、どれほど静かな音になったのかは判らない。

ヤ組の多田一家はピオネ荘で姐さんの歓迎会を開いてくれた。

「それじゃ、今夜は貸元と姐さんのご結婚をお祝いして楽しゅうやろうな」今回も大籠がすべてを取り仕切ったようだ。

今度はすき焼きだ。果たして九州の人間はすき焼きに矢鱈と砂糖を放り込む。甘ったるくて口に合わない。お酒と醤油を足して味を私たちの好みに整えるのだが、学生の方は隙をみては砂糖を足す。諦めて漬物などを肴にお酒をちびちびと飲んだ。

一同がそれぞれに自己紹介をした。高取と笹岡も同席している。康子は大籠と諏訪以外の学生とは初対面である。聞き慣れない博多弁が右往左往していて人見知りがちの康子には殊の外、馴染みにくい雰囲気ではあったようだが、学生たちは大らかに楽しんでいる。高取が窓際の縁に腰を掛けて暗い海を眺めながら「ふ〜」と息を吐いた。その仕草はとても二十歳前の学生とは思えない色気を漂わせていた。

「タカトリさん」私の声が上ずった。「これまで気がつかんかったけど、いけそうだね。お出で!さ、呑もう!」

高取は私達のもとに近寄ってきた。

「わたし、もうだいぶ酔いました」そう言いながらも手にはきちんと杯を持っている。

「酔いました云う奴は大体が酔っとらんもんよ」私は酒を注いだ。

「誰が酔ぉとんじゃい?俺は酔ぉとらん、素面(しらふ)じゃ!」奥稲荷が向こうの方で川添を相手に大声を張り上げている。酒は弱いようだ。

「奥さんはお飲みにはならんとですか?」

「わたし、日本酒はあんまり好きじゃないの」

「普段は何を飲んでらっしゃぁとですか?」

「ジンだとか…」

「ああ、先生とこで誰やったか忘れてしもたですけど、誰かが酔いつぶれたジンライムですね」

寺崎がバツの悪そうな顔をしている。

「姐さん、お近づきですけん、ちょこっと飲みよらんですか?」徳利を片手に康子の斜め前に座り込んだ長丘が言った。茹で上がりのタコのように真っ赤な顔をしている。

「お前は余計なことは云わんでもヨカ!襖に穴の空けてからに!」諏訪が口をはさんだ。「こいつですよ、酔っぱらってから、寝とって襖に穴の空けたんは」

「あら、そうなの?気がつかなかった」

襖は箪笥の後ろに仕舞い込んでいた。

「奥さん!そういう諏訪君だって、先生のお家でコンパさせていただいた時に、薬缶をコンロにかけっぱなしにして、底に穴を空けたんですよ」笹岡が告げ口をした。男どもは口々に康子を姐さん呼ばわりしている。高取と笹岡だけが奥さんと呼んでいた。

 明くる晩、大野と弟の久貴が遣って来た。子猫を抱いている。

 「あら、猫ちゃん!」康子はすぐさまその猫を抱き上げた。

 「久貴が拾ってきたとです」

 「一昨日ですたい。帰りよう時にですね、草むらん中でミューミャー鳴きよったとです。可愛そうやけん、家に連れてきました」

 「お腹すいてるんじゃない?猫ちゃん、牛乳あげようか?」康子は猫をおろして、小鉢に牛乳を入れてやった。

 「名前は付けたのか?」

 「タマって、しようかと思ったんですけど、いかにも猫そのものっていう感じじゃないですか」大野が言った。

 「そうだな、有り触れてるな」去年の四月から非常勤でドイツ語を教えに来ている博多大学の国分教授の事を思い出した。「知り合いのドイツ文学の先生がね」大野も久貴も唖然とした面持ちで私を見つめた。私は構わずに話を続けた。「お仲人をした卒業生のところで猫が生まれたんだって。それでね、その先生に名前を付けて下さいって云ってきたんだ」大野も久貴も漸く私の言おうとしていることが判然としてきた。「二匹産まれたんだって。初産だったからなのかな?オスとメスね。それで先生はまず、雌の方は『モモ』にしなさいって云ったんだ。『モモ』って知ってる?」

 「太腿のモモですかいな?」久貴が茶化した。

 「お前は、発想がいやらしいとよ。先生が云うとるんは違うバイ」

 「思ったね、流石に現代ドイツ文学の研究者だと」

 「ドイツ文学にそげなのあるとですか?」

 「大ありよ。ドイツのミヒャエル・エンデっていう児童文学の作家でね、ついこの間なんだけど『モモ』っていう作品を書き上げたんだ」

 「どげん作品ですな?」大野が興味深げに尋ねた。

 「時間貯蓄銀行っていう銀行の怪しい男どもに時間が盗まれるんだけどさ、その盗まれた時間を不思議な力を持ったモモっていう女の子がね、その時間を取り戻すっていうような話らしいんだけどさ、その内容は今はどうでもいいんだ」まだ日本語にも翻訳されていないし、私も全編を読み切ってはいない。とても児童文学とは思えないほど難解で読みにくい。「ともあれ、先生は雌の猫はその『モモ』にしたわけ」

 「そして雄猫はどげんなったとですか?」

 「それが、お笑いよ…」

 「久貴、先生が仰れんうちから笑わんでヨカ!真面目に聞いとれ、バカタレが!」

 「雄猫はね、『太郎』にしなさいって云ったんだって」

 「なんや、笑って損した。ただの桃太郎やないですかいな」久貴はそう云いながらもニヤニヤしている。

 「僕はですね、タマじゃ面白くなかけん、何か他のヨカ名前のなかろうか考えよったとです」

 「先生!この猫、あんまり賢ぉなかですもん。アホではなかろう思いよりますばってん、この間ですね。兄貴の机、ほら塾で使ぉとるあれですたい」

 大野は細長いスチールのテーブルを塾で使っている。

 「この猫、兄貴の勉強しよる机からそっちの机さ移ろうとして飛びよったとです。ほしたら手か足かはよう判らんばってん、踏み外してからに下に落ちたとです。じっと見とったらですね、『ボク、別に飛び移ろうとしたんやないもんね』みたいな顔してからに妙に科(しな)を作りよりましたたい」

 「そうなんですよ。こいつ、時々そんな仕草しよりますもん」

 「そうよ!猫ってどれもそうするわよ」これまで何匹かの猫を育ててきた康子からすればそんな仕草は猫の常道のようだ。

 「奥さん、僕は初めて猫を飼いよりますけん、そげんこと知らんですもん。それでですね、女形みたいやさかい『玉三郎』にしよう思いよります」

 「歌舞伎役者の名前そのまま借りるんは気が引けますけん、『タマしゃぶろう』にしよかと兄貴と話したとです」御ませな高校生である。康子は聞こえぬ素振りをしている。

 ミルクを飲んで満ち足りた玉三郎はソファーに上って縫いぐるみのスヌーピーに寄り掛かかって寝入ってしまった。

 「先生、この間、荷物を入れた時にはこのスヌーピーはおらんかったんとちゃいまっか?」

 「これはね、友達がさ、ご祝儀の他に記念になるもの遣るって云ってくれたんで、これを頼んだんだ」

 「先生が好きなんですか?」と久貴

 「いや、康子が、そんならスヌーピーが欲しいって云うんでね」

 「わたし、スヌーピーの映画何本も見てね、大好きなの」

 「ちっこいのもありますけど、こっちの方は隣の坊やと似とらんですか?」

 「似ているよな」

 「お隣の奥さんとはこの間ね、玄関を出たところでお会いしたの。『多田の家内です。よろしくお願いします』って挨拶したら、『多田先生のところにはよ〜く学生さんが出入りしていますね』って云われちゃった」

 「夏休みに先生がお留守の間に僕がカギを開けてた時に、『こちらのお方ですか?』って聞かれたんで、かくかくしかじか、学生ですって答えたんです。大学の先生だとは知らんかったようですな」

 「最初に引っ越してきた時、一応、挨拶はしたんだけど名刺を渡していなかったんだ」

 「あの奥さん、云ってたわよ。ご主人といつも『学生さんがわんさと来ているけど、爆弾でも作ってるんじゃないか』って噂していたんですって。お子さんは男の子が二人いるだけど、上の子は三歳ですって。このスヌーピーよりももっと可愛いわよ」

 「あの奥さんもなかなかの別嬪さんですもんね」

 「そうかな?」うっかりして大野に同調するわけにはいかない。

 師走も慌ただしく過ぎ去り、冬休みとなって私たちは東京へと戻って行った。これまで幾度となく行き来をしてきた道のりだったが、今度は二人なので車中が楽しい。今度は電車寝台を利用した。いつもの列車寝台と違ってベットはレールと平行ではない。通路を挟んで左右に上下二段のベットがある。つまり、レールを枕にするような格好となるのだが、その喩は些か生々しい嫌いがする。とまれレールと平行した列車寝台のベットでは下段に寝ていても狭苦しいが、電車寝台の下段のベットは向かい合っている4人用の座席がベットになる仕組みなので広々としている。上段に荷物を置いて二人して寝ながらいつまでもレールを刻む音に合わせるようにひそひそと他愛ない話をしているうちに夜が更けた。東京の実家で正月を迎え、仙台に出掛け、塩釜の酒井に挨拶に行った。淳二も昨年の秋に結婚をしていて、別の所に新居を構えていた。二人の名前で送った博多人形が玄関に飾られていた。

 「博さん、文字通り、博多に行くときゃ一人でも、帰りは女房と二人連れってことになりましたね」

 「そうですね、これまではいつも一人で往復していましたけど二人だと本当に楽しいです」

 仙台では夜ともなれば忠明や均と一緒にバーやクラブに出入りする毎日だった。博多に戻って来たのは正月のしめ飾りが取り払われた後だった。

 「先生、お久しぶりです」諏訪が研究室に顔を出した。「もう、帰りんしゃるとですか?」ニタニタしながら聞いている。

 「そうよ。研究室にいたってしょんなかろうもん」

 「またまた、そげんこと云いよってからに。そんなら僕も行きます」

 「どこに?」

 「どこにってことないでしょう!先生の家ですよ。決まっとうやないですか!」勝手に決めつけている。

 「お帰りなさ〜い」大籠が来た時と全く同じ状況だった。「諏訪君だったわね」諏訪の名前はしっかり覚えていた。

 「先生がですね、来い、来い、云うもんじゃけん、しょん事なしに来たとです」

 「そうなの?ま、いいわ、どうぞ!」

 康子が慌てて居間と続きになっている寝室の襖を閉めた。

 「もう、布団の敷きよっとですか?」諏訪がいやらしそうにニタニタとして私に聞いた。

 「朝から敷きっぱなしだっただけよ」康子は顔を赤らめて俯いた。「バカ」ぽつりと呟いた。テレビは敢えて買っていない。ステレオからクラシック音楽の調べが部屋中に鳴り響いている。康子の最後のことばはその音に掻き消された。カバーを見るとモーツアルト「ドン・ジョヴヴァンニ」K527とあった。

 「姐さんはクラシック音楽、好きなんですか?」

 「そうなの、モーツアルトはあんまり聞かないんだけど、今日は何となくそんな気分がして」

 「先生とは違いますな。先生は健さんか寅さんの世界ですもんね」

 「これでも、一緒になってからよくクラシックも聴くようになったんだぜ。去年の事だったんだけどさ」康子と一緒に長崎に一泊旅行に行った時の事が思い出された。「筑肥線の電車の中で、真ん中の通路を隔てた横の席にね、さもない田舎のおっさんが坐っていたんだ。このおっさん、ラジカセ持ってたんよ」カセットテープレコーダーが内蔵されたポータブルのラジオである。「そのおっさんの向かい側に若い娘さんが二人来たんよ。そしたらな、このおっさん急にラジカセでクラシック音楽ば流しよったわけ。このおっさんとクラシックってどうしたって似合わねぇんだな。たまにハンカチを口元にあててさ、コホンなんて軽く咳なんかしやがってよ」諏訪はふむふむと聞いている。「暫くしてこの若い娘さんたちが降りちゃったんだ。そしたら、おっさん、俺を呑み込んじまう位、でっけぇ欠伸しやがって、そしたらさ、今度はカセットを入れ替えたんよ。流れてきたのが演歌だった、てわけ」

「先生と姐さんの同居しとぉごたる人ですね」

「うまい事云うね。俺もクラシックなんて縁がないんで訊くけどさ、このK527って何なんだ?」

 「それはですね、ケッヘル番号いうてですね、モーツアルトの作品番号ですたい。世界共通の認識番号で、このモーツアルトの作品を分類したんが、ルードウイッヒ・フォン・ケッヘルいう人だったとです。それでその頭文字ばとって作品番号をつけてモーツアルトの作品が紹介されよります」

 「お前、ドイツ語は出来なかったのに、そんな事はよう知っとるね」

 「先生、成績の話はよしましょう。親父に成績表ばみせたら『何だ、ドイツ語は可じゃねえか』って云われたとです。多田先生は厳しゅうしてって云い訳しよったとです。それはもうヨカですけど、僕はですね、何人かとチェロのサークルを作りよります。月に一遍、東京から先生の呼んでですね」

 「あら、諏訪君はチェロの奏者なの?」

 「奏者なんてほどではなかですけど、一応、練習しよります」

 「今度、聞かせて」

 「ヨカですよ。期末試験の終わりましたら一度チェロ持ってきますよって」

 その晩、諏訪は泊まっていった。夜に電話の呼び出し音が鳴った。父親は酔うとさしたる用事もないのに電話を掛けてくることがある。電話機には覆いを被せてあったのでそれまで諏訪は電話機が設置されたことは知らずにいたが、これで万事休す。電話番号が知れてしまった。

 城南とは時をずらして短大の方も後期の授業が終わりに近づいた。捨て台詞を吐いて教室を出て行ってしまった女子学生は年が明けてから授業に顔を出すようになった。

 「先生、ラーメン・ライスの毎日からは解放されましたね」授業の初っ端に冷やかす学生がいた。

 「そうなんよ、おいどん毎日旨かもんばっかり食いようと」

 「先生って、和食党でしたよね?」

 「当たりきよ。特に朝飯はな、ニッポン男子たるもん、朝からパンにジャムなんてそんな甘ったるいお菓子みてぇなもん可笑しくって食えるかってんだ」

 「カッコいい!」大向こうから声が掛かった。

 「何たってね、朝は炊きたてのご飯にさ、味噌汁なんぞあったら、あったまっていいもんな。朝になったらカミさんが台所でトントンなんて、葱でも刻んでいるわな。仕度が出来たところで、枕元にきて『ご飯できましたよ』なんて声かけられて、しぶ〜いお茶でも飲んで、梅干し食って、う〜、酸っぺ〜なんて云って。五郎八茶碗にほかほかのご飯よそってもらって、沢庵なんぞぼ〜りぼ〜りって食って、カミさんはおちょぼお口でぽ~りぽり、なんて朝飯よ」大向こうから声がかかったせいで教室は寄席の雰囲気となってしまった。「でもさ、うちの奥さんは味噌汁が嫌いなんだ。いざ結婚したら…、朝はトーストとハムエッグなんか出されてよ」

 「バ〜ンってテーブルひっくり返すんでしょ、当然!」

「誰がそんなことするかいな!トーストなんて外国に来たみたいでヨカね、な〜んちゃてさ…」

 学生たちはぎゃほぎゃほと騒いで、机を叩いて燥(はしゃ)いでいる。ただ一人、先の女子学生だけは仏頂面を崩さない。

 やがて諏訪は後期の試験が始まる前にチェロを運んできた。肩には大きなボストンバックが掛かっている。チェロを奏するには大仰な小道具が要るものと思っていたら当分の間の着替えとのことだった。

「試験が始まったら大牟田から通うのはせからしいし、先生の家だとクラシック音楽がたっぷり聴けるから暫くお世話になります」

かくして諏訪の居候が決まった。早速、ケースを開いてチェロの演奏が始まろうとした。

「あっ、いかん!先生、段ボールのなかですか?」

「何でだ?」

「絨毯に穴の空きよったです」

チェロを固定する釘のようなものが絨毯に突き刺さっていた。諏訪が空けるのは薬缶の底だけではなかった。諏訪はまだ習い始めたばかりだった。鋸をひくような音が部屋に響き渡った。

日が経つにつれて毎晩のおかずの品数が少なくなってきたし、此れまでは猫の餌だからだと食卓に上ったことのない鰺などがあれこれ手を替えては頻繁に出てくるようになった。食卓がお粗末になってきた感は拭えない。デパートで食品を買うことはなくなり、夕方になると諏訪が随行して西新町の裏通りにひしめくリアカー部隊で野菜から魚まで買い入れるようになった。季節もあろうが、久しくグレープフルーツを食べていない。非常勤の給料もあるので、さして貧しているとも思えないが、私の限られた報酬で日々の生活を送らざるを得ない康子が不憫に思えた。

終戦後間もなく私がまだ幼かった頃、父親は東京に単身赴任していた。私は妹と母親と一緒に宮城県の片田舎にある母親の実家で祖父母に溺愛されながら育った。そのせいか私はいつまでたっても我儘だった。取り分け家の中では全てが私の思い通りに進んでいないと気が済まない。結婚してからもその性格は直らなかった。夕餉の時間はいつも決まっていないといけない。康子は段取りに手間取り、心づくしの手料理を心がけるだけにどうしても毎日の食事の時間が一定しなかった。途端に私は不機嫌になる。「仕事の都合もあるのだからきちんとしてくれなくては困る」などと不平を漏らすのだが、別にそれで差支えている場面はどこにもない。どうせ夕飯時には酒を呑んで、その後はソファーに寝そべってレコードやラジオを聴いているか、雑誌などを読んでいるだけである。私が食事時間にぶつぶつ文句をつけるその神経が康子には理解できないのは当然のことであった。

一緒に暮らして間もなく火鍋子(ホーコーズ)という中国の鍋料理を作ってもらった。鶏ガラ仕立てのスープに魚介類とほうれん草、それにたっぷりの油で炒めた春雨を入れてぐつぐつと煮ながら食べる。手間暇はかかるようだが、実に旨い。ある時、晩飯はその火鍋子であるということで私は楽しみに帰ってきた。だが、その晩に出されたおかずは回鍋肉(ホイコーロー)という味噌仕立ての中華風肉野菜炒めだった。私は期待が裏切られたような思いがして癇癪を起した。酒の肴がお膳に出てくる順番も私の思い通りでないと私は膨れて箸を伸ばさない。私はお酒を飲んでいる間はいつでも何かを食べては、もごもごと口を動かしている。どんなに食べても腹が一杯になってお酒が飲めなくなるなどということはない。とても呑み助の端くれに置けないようだが、私は塩を舐めて一升酒を飲むような真似はとてもできない。それに酒の肴が私の期待した通りの味でなかったりすると、怒りを露わにしながら酒ばかり煽って寝てしまう。だが、そのうちに腹を空かし、ごそごそと起きだして独りでインスタントラーメンを茹でてご飯を食べている。慣れた手つきである。そしてお腹がいっぱいになったところで、改めて寝入ってしまう。翌朝になれば何事もなかったかのような顔をしている。単純そのものである。すべからくこのように我儘な私の性格に接して康子は戸惑いを隠せなかった。日がたつにつれて康子は寂しげに宙を見るようになってきた。しかし、諏訪がいれば私はあまり癇癪をおこすことはないし、何よりもクラシック音楽に造詣の深い諏訪とレコードを聴きながら、指揮者のその楽曲への思い入れなどについて話が弾む。康子は知る人のいない博多の地で諏訪が寝泊まりしてくれるだけでも幾ばくか寂しさを紛らすことが出来たようだった。

博多の冬は寒い。部屋の中では石油ストーブを炊いて暖をとるのだが、この石油ストーブのカートリッジからは時折ゴボゴボと音をたてて石油がタンクに落ちる仕組みになっている。

「先生の家は色んな音の出ようですね」

「そうかな?」

「そうかなって、先生、とぼけてからに。先生はどこにおらしゃってもボファ、ボファアってオナラのしようじゃなかですか。教室では聞いたことはなかばってん」

「出物腫物所嫌わずってな、しょうがねえんだ」

「そうなのよ、諏訪君、博さんって、寝ててもオナラするのよ」

「先生、そげん器用なこともしよるとですな?新婚さんゆうくせに」

「出るもんはしょうがねぇじゃねか。音が出りゃ匂わねぇから、それでいいんだ」

「音がしても臭いんだもん」

「そりゃ、食いもんが悪いから、匂いもしようってわけよ」

「食べ物が悪いって、何よっ!私、これでも一生懸命作ってるのよ」

「まあ、まあ、夫婦相和し!たかだがオナラ一つで夫婦喧嘩してはいかんですよ」

諏訪の執り成しでなんとか治まったのだったが、思いをいたすに事の発端は諏訪にあった。

試験期間となって、朝は一緒に大学に行くのだが、帰ると「お帰りなさい」と諏訪が出迎える日もあった。給料日も近くなると愈々食卓の品数は少なくなり、博多のインスタントラーメンに炒めた野菜や豚肉を入れて味噌仕立てにした札幌ラーメンが出される晩もあった。

城南では自分の担当する科目以外の試験監督もこなさなくてはならない。試験問題を配って席順に名前を記入する用紙も配る。それぞれがどこの席に着いていたのかが一瞭然となる。出席を確認することと、前後左右の類似答案を見分ける目安ともなる。商法の試験監督だった。大講義室の六人掛けの座席の両端に学生が坐っている。試験開始のベルがなった。論述形式の試験にて静まりかえった講義室にはしゃかしゃかと走る鉛筆音だけが響き渡った。暫くして学生の間を回り始めて一番後ろの席に来たところで一人の学生がテキストを開いて書き写しているのが目に入った。

 「こ〜りゃ、お前、何で本ば開けようと?」

 「あれっ、この試験って本の持ち込みやなかったとですか?」

 「そんな事どこにも指示されておらんじゃろうが…。はよ、仕舞わんかい?」 

 「すんません!てっきり持ち込みの試験だとばっかり思いよりました」

 向こう端の学生に目を転じたら、こちらは机の下に隠した本を開いて必死に読み耽っていた。

 「こら、お前!」傍に近寄って声を掛けた。「隣で俺が本ば見たらいかん云うとろうが…。聞こえんかったとか?」

 「あっ、すんません!全然、気の付かんかったですもん」呆れた学生たちである。

 定期試験が終わって諏訪が大牟田に帰って暫くしてから諏訪の母親から熊本の工房で焼かれたという渋い味わいの徳利セットが送られてきた。私はお礼の電話をかけた。

 「先生、秀次のえらいお世話になりまして申し訳ありません。先生は新婚さんなんやからお邪魔してはいけん云うとりますばってん、『気にせんでヨカ』なんて勝手なことば云いよりまして。えらいご迷惑をおかけしました」

 「いえ、家内も諏訪君が来てくれて寂しさが紛れたようです。こちらこそこんなお気遣いいただきまして、恐縮です」

 「いえ。何がよかろうか考えとりましたが、先生はお酒がお好きだと聞きましたけん…。ほんのお笑い草でして」

 私は笑わずに重ねてお礼を述べて電話を切った。

受験校を九州大学から京都大学に替えた大野は最後の追い込みにて滅多に顔を出さないが、夜になると時折、玉三郎が二階のベランダに攀じ登ってきて、私との生活の歯車が噛み合わなくて戸惑う康子を慰めている。その晩も玉三郎がベランダで鳴いていた。私達はすぐさま中に入れて暫くお相手をしてやったのだが、所詮は借り物の猫である。康子はそっと抱き上げて大野のもとへと連れて行った。帰ってきて今度はスヌーピーの縫いぐるみを抱いている。ステレオからはチャイコフスキーの「悲愴」の曲が流れていた。私は康子の肩を抱いた。康子の瞳から一筋の涙がこぼれた。

 「昔話をしてあげようか?」

 「どんな?」

 「昔昔のことばい、竹を切ってきてはな、それで色んなもんを作りんしゃった爺さまと婆さまのおらしゃったと」

 「何で博多弁なの?」

 「博多弁かなんかはよぉと分からんばってん、聞きんしゃい!」

 「はい。でも、それってかぐや姫でしょ」

 「新説の九州版竹取物語や。ある日のこと、いつもの竹林に行ったと。チクリン云うてもチンチクリンとは違うで」

 「分かってるっ」

 「そんならヨカ!そこでだな、ええと何だったっけ?余計な口挟むから忘れちゃったじゃねえか」

 「竹林に行ったらきらきら輝く竹があった。不思議だなあと思って近寄って、その竹を切ったら中から三寸ほどのそれはそれは可愛らしい女の子が出てきたので、自分たちの子供として育てた、でしょ」

 「よく知ってんな」

 「誰だって知ってるわよ」

 「そんなら途中は飛ばすことにするばい。ここからや、肝心なんは。いいか?かぐや姫の名前の由来は知っとるか?」

 「それは知らない」

 「これはだな…『なよ竹のかぐや姫』つまるところ、『しなやかな竹の』という意味よ」

 「そうなの。それでかぐや姫って?」

 「それよ!『かぐや』てぇのはね、『かがよう』ってぇ動詞、つまりだな、『きらきら揺れて光る』っていう動詞、日本語では体言に対立するところの用言というな。それからきててね、若竹のちらちら光る姫だと云われてるんだ」

 「すごい!よく知ってるのね、そんな事」

 「言語学者よ、おいどんは!でもな、九州じゃ、それが違うんだな」

 「どんな風に?」

 「爺さんはな、夜になるとお月様を見ては、はらはらと泣いとったかぐや姫を見て、なんとかせんならん、元気づけてやろう、思ぉたんよ」

 「うん、それで?」

 「爺さん、一端、手をこう、後ろに回してから、その握った手を姫の鼻先に持っていったんよ。そいでな、『どうや。嗅ぐや、姫!』って云ったらね、姫は『うわ、臭い!」って云うたんよ。爺さんのすかし握りっ屁だったてことよ」

 「何、それ!うわっ、臭い!オナラしたでしょ」

 「しとらん、しとらん!気のせいじゃろて」

 康子は泣き笑いの顔になった。呆れた新婚生活である。


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